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PTA活動の不思議

株式会社ウイングフォーム
私は実際にPTA活動に携わるようになってから常々疑問に思うことが多々あります。
本当にやる必要があるのか分からない活動子供達に何も関係ないのにやっている活動大人の都合や建前でなどで動いていると思われる活動など・・・。

PTA活動は「できる人が・できる時に・できる事を」「無理のない活動と参加を」などのスローガンを掲げて、各会員の自主性ボランティア精神を尊重して強制的な活動はしないとするパターンを目にすることがありますが、それは建前になってしまっていて、実際は役割を担当制として必ず設けたり、ポイント制を導入して子供の在学中に必ずポイントノルマをこなさなくてはならなかったり等、各会員の能動的なPTA参加が期待できない為にルールを設けるケースもあるかと思います。

本部役員を経験してしまった私としては、正直この半強制ルールを設けることは分からないでもないです。
今までやってきたことを過不足なく行うには人手が必要な為、言い方は悪いですが無理にでも参加をしてもらうという流れにせざるを得ません。

ですが、個人的にはその参加をお願いする内容は本当に全て必要なものなのかどうか疑問が残るところもあります。
ですがそれと同時に本当に必要な活動もあると思います。

もちろん学校によって同じ内容でも必要な活動内容かどうかの違いはあると思いますが、この人手をある程度強制的に集めなくてはならない問題もまたほとんどのPTAが抱えている問題ではないでしょうか。

でも変わらない。
不思議です。

そこで今回は、PTA活動の不思議について私見で論じたいと思います。
重ねて申し上げますが、これはあくまで私見個人的見解す。笑
エビデンスなしの独自見解も含まれていると思ってご容赦ください・・・。

そもそもなぜPTAは存在し続けようとするのか?

PTA学校保護者、そして地域社会との連携を強化し、子供たちの健全な成長支援することを目的として存在しているという名目があります。
しかしながらその名目は各学校上部団体など、全てのPTA組織において全うされているのかと思うと私は疑問が残り、存在し続けることを不思議に思えてなりません。

実際に解散を決断した学校単位のPTA(通称:単P)もありますし、2024年9月には上部団体の1つである岡山県PTA連合会が「会員減に歯止めかからない」として、2024年度末で全国初の解散を行うことが公表されました。

つまり、現実的にはPTAが存在し続けられない事象が起き始めているのです。

それでも全体的な流れとしてはPTAは存在し続けようする方向だと思います。

しかし「なぜPTAが存在し続けようとするのか?」という疑問には、歴史的背景や社会的役割、慣習、そして一部の課題が関わっているのではと考えますし、実際に私は現状であれば色々な納得のいかない理由を含んでいてもPTAは必要だと思っている派です。

PTAが存在し続けようとする理由はいくつか考えられますが、私が思う部分は納得出来る出来ないは別として以下のようなところです。
1.教育への支援と地域連携
PTAは本来、親と教師が協力して子供たちの教育環境を改善するための組織です。
例えば学校行事の運営や安全対策の補助学習環境の整備など、子供たちの教育に必要なサポートを提供することが主な役割です。
その背景から言えば、PTAは学校だけでは出来ないことを行う必要な団体と言えます。
2.地域社会との橋渡し
PTAは、学校や子供たちと地域社会の繋がりを強化する役割も担っています。
地域住民の方々自治体との協力を通じて、教育だけでなく地域全体の福祉を向上させる活動を行う狙いが含まれています。
単Pによっては、地域の方々と交流する独自の行事などもあるのではないでしょうか?
3.歴史的な流れ
PTAは戦後日本の教育再建期にGHQによって普及されました。
当時、民主的な教育を促進するために、親と教師の協働が重要視されていましたという背景があったようで、この考え方がその後も受け継がれ今に至っている要素はあると思います。
4.教育の現場でのニーズ
少子化教育予算の制約などにより、学校が単独で子供たちの多様なニーズを満たすのが難しくなっています。
PTAはその補完的な役割を担う立場としても、もしかしたらPTA創成期よりニーズが強くなっているかもしれません。

なぜ必要ないと思える活動もし続けるのか?

以上のような点が思い当たるのですが、書き連ねている私個人もいくつかの点においては納得できません。笑

大義名分的な理由も含んでいるようには感じますが、私にとっては本当に納得がいく理由も上記には含まれています。
ですがPTAが存在し続けようとする理由において、以下のような問題点も含まれているのではないでしょうか?

1. 代替手段の不足
現代社会では共働き介護シングルでの子育てなど、通常の生活を送るだけで精いっぱいの余裕のない世帯がPTA創成期に比べて多くなっていると思われます。
従来通りに各会員に参加を促し、今まで通りの行事やサポートを行おうとすること自体がほとんどの単Pで難しい中、PTAが果たしている役割を全て代替できる他の組織や仕組みが整備されていない為、多くの学校では人手も予算も足りていないこともあり、今もなおPTAが必要不可欠な存在とみなされている部分もあるのではないでしょうか。
2.慣習とプレッシャー
以前にも触れていることですが、未だにどんな家庭状況でも「PTAに参加することが当然」という慣習とも言うべき認識が根強く、意識的にも無意識的にもプレッシャーを感じやすくなります。
この意識は全体傾向として本部のみならず多くの一般会員の中にも根付いていると私は思え、こういった意識は今までやって来た活動を引継いで何1つ変えずに実践し続けなくてはならないという考えに至り、本当は時代状況に合わせて変化していかなくてならない部分も維持し続け、結果的に改革の動きが進みにくい状態に陥りやすい現象を多く生んでいる気がしてなりません。
3.教育行政や学校からの期待
ニュースでPTA問題が取り上げられる時に触れられる焦点の1つでもありますが、各自治体の教育行政や学校は、PTAからの支援を期待して前提とした運営を行っているケースも多く、解体急激な改革が難しい状況にあることは否めません。
実際に私も役員になって思ったことの1つに、「学校は思った以上にPTAの人手や予算ありきで運営されている」ということでした。
私個人としてはこの件には「子供たちのためになる」のであればとある程度納得しているのですが、実際問題として学校の児童数生徒数減少すれば、同時に人手予算も確保は難しくなります。
PTAを解体してもやっていっている学校もあるかと思いますが、絶対的に今まで通りにはいかないですから、「今まで通りの同じやり方ができない」「今まで通りでなければ見通しが立たない」などの考えになって消極的になるのも分からなくもありません。

PTAは政治

これは私の持論なのですが、「PTAは政治」だと思っています。
予算制ですし、不変にこだわりやすくトップやその下の役員によって保守改革か大きく変わる要素もあり、それでいて革新派が多数となっても建付け上とても変えづらい組織構造・・・。

私はまさに国会各自治体政治と様相が酷似していると見ています。
色々とPTA関連でニュースにもなっていますが、犯罪にも至るような不正や人間関係のいざこざなど恣意的な要素は入れ込もうと思えばいくらでも出来てしまう側面もあり、運営には危険性もあることを折り込んで考えないといけません。

ですが逆に言えば、やろうと思えば変えることも出来るし守ることも出来るという裏返しでもあるのではないでしょうか。

本当にPTAは根深く奥深く、そして何か見えない力を感じる時があり、本当に不思議です。笑

また書こうと思います。

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