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11.12025
PTA監査という「名ばかり役職」になりやすい現実

建前上(笑)。
その運営の中には、「会長」「副会長」「会計」などの役職のほかに、「監査」というポジションが設けられていることが基本的です。私は今まで副会長をやっていたのですが、もう大変で辞めさせてもらったのですが、それでも役員不足だということで、今年度は監査の役職を担っています。
一般的に「監査」という言葉には、会計や運営の適正さを第三者的に確認するという意味があります。
企業でいえば内部監査室や会計監査人のような存在にあたりますが、PTAの監査はたいてい保護者の中から選出されるボランティアによって担われるのが現実です。
今のところ個人的な感想としては、副会長と監査は同じPTA役員でありながらも、今までに比べるとまあ楽です(笑)。
下手すると広報部や学年委員会などの本部傘下にある専門部や専門委員会より楽なんじゃないかと思うくらいです。
ただし、会計処理が適正になされているか、帳簿や領収証などをチェックする「業務」がありますので、その作業自体は真面目にやればやるほど大変です。
おそらく監査の役割を担った方の中には、出された書類を軽く目を通し、印鑑を押してハイ終わり・・・という経験をされた方も少なくないんじゃないかと思います。
ですが、本来であればそれは「監査」という立ち位置であれば、よろしくはないスタンスだと個人的には思います。
PTAの組織構造を考えても、組織を詳しく知れば知るほど「素人が監査を行うことに意味があるのか?」「公平なチェックが機能しているのか?」といった疑問の声が少なくないのではないでしょうか。
今回は、PTA監査をめぐる現状と課題を、実体験を踏まえながらもなるべく中立的に考察したいと思います。
また、例によってそしていつも重ねて申し上げますが、これはあくまで私見で個人的見解です。
エビデンスなしの独自見解も含まれていると思ってご容赦ください・・・。

PTA監査の多くは「形式的確認」にとどまる
PTAの監査は通常、年度末ないし年度中間に会計担当者から帳簿・領収書・通帳などの資料を受け取り、それらに不備がないかを確認するという流れで行われます。
多くの学校では、
- 金額の整合性
- 領収書の有無
- 残高の一致
などをチェック項目とし、監査印を押して「異常なし」とするのが慣例だと思います。
しかし、実際には監査担当者自身が簿記や会計に詳しいとは限らないと思います。
むしろ、「前年度は誰もやりたがらなかったから」「一度も役をしていないから」という理由で選ばれるケースもあると思います。
結果として、先に挙げた監査の作業が「数字をざっと見てサインするだけ」になってしまう例も少なくないと一般論として見ています。
これは担当者個人の怠慢というより、制度設計上の問題であると考えます。
PTAは法的には任意団体であり、明確な監査基準や指導機関が存在しません。
つまり、会社法のような厳密な専門法律が設けられている訳ではないので、監査の内容や方法は各PTAに委ねられており、形式的に実施されていても外部から問題視されることはほとんどない建付けです。
私はほとんどのPTA監査が本当の意味で「監査の公平性」を保たれているとは組織構造的にどう考えても思えないでいます。

同じ立場の会員による「身内監査」
もう1つの大きな課題は、監査を担当するのが同じPTA会員である保護者という点です。
監査は本来、客観性と独立性が担保されていなければならないのにも関わらず、PTAのように狭いコミュニティの中でそれを確保するのは容易ではないのは致し方ありません。
たとえば、監査担当者が会長や会計担当の保護者と同じ学年・クラスの保護者であることも珍しくないですし、相手が顔見知りであれば、「あまり細かく指摘すると関係が悪くなるのでは」と遠慮してしまう心理も働くのが人情です。
また、学校という閉じた空間では「波風を立てたくない」という圧力も無意識に存在することは否定できません。
私はあんまり気にしませんが(笑)。
それで、「気にしなさ過ぎ」とたまに子供達に怒られることもあります・・・。
このように、構造的に「身内監査」にならざるを得ない点が、PTA監査の公平性を損ねているという指摘は私だけでなく立場構造を分かっている人ほど根強く思う考えではないでしょうか。

信頼と抑止力の象徴
では、意味が薄いように見えるPTA監査に、なぜ今も役職としての意義が残されているのか。
そこには、2つの側面があると思います。
ひとつは「信頼の象徴」としての役割だと思います。
監査というプロセスがあることで、会計や運営に対する信頼が最低限保たれ、仮に形式的であっても「誰かが確認している」という仕組み自体が透明性を示すシグナルになるという役割です。
もうひとつは「抑止力」としての効果です。
監査が存在することで、会計担当者は「後で確認される」という意識を持ち、不正や怠慢を防ぐ心理的圧力が働きます。
つまり完全に専門的な監査でなくとも、一定のガバナンス機能を果たしていると言えるのではないでしょうか。
また別の機会に取り上げたいのですが、この点から言えるのが「会計は大変」ということです。
帳簿付け、予算管理、支払いなどなど、会社の経理部門と同じ業務内容と言えば同じです。
それをボランティアでやって、お金が合わなければ責任問題にもなりかねないのですからやってられません(笑)。
それでも、「人がいないから」と変な人に会計を任せてしまうと、監査も関係なく変なことしちゃうケースもありますが・・・。

外部監査か教育の充実か
それでもなお、PTAの監査体制をより実効的なものにするための改善は必要だと思います。
個人的にそれは、大きく分けて次の2つの方向性があるという考えです。
1.外部の専門家による監査の導入
企業や個人事業主などの常道パターンである会計士や税理士など、第三者の専門家に監査を委託する方法です。
これにより、客観性と正確性は格段に高まります。
しかし、PTAは往々にして予算規模が小さかったり、「とにかく前例のないものには費用を掛けない」などという運営方針や力学が働きやすかったりを考えると、外部監査の費用負担は大きなハードルになるPTAは多いのではないでしょうか。
場合によっては保護者サイドはOKでも、学校サイドがNG・・・という場合もあり得ます。
さらに、学校ごとに会計の仕組みやルールが異なるため、標準化も難しいところでもあります。
現実的なところで考えると、専門家による監査指導や簡易チェックを年1回実施するなど、限定的な関わりがリアルではないでしょうか。
2.会員向けの会計・監査教育の充実
もう1つの方向は、監査を担う保護者自身が基礎的な知識を身につけることです。
例えば、PTA連合会や自治体教育委員会がPTA会計講座や簡易監査マニュアルを提供することで、最低限のスキルと理解を共有するなどが考えられます。
実際、いくつかの自治体ではすでにオンライン研修やテンプレートの配布を行っている例もあります。
こうした取り組みが広がれば、「形だけの監査」から「理解に基づいた監査」へと一歩進むことができるのではないでしょうか。
ただしこの方向でも、監査担当者に基礎的と言えども知識の習得を強制する部分はありますので、負荷ゼロとはいきません。

PTAに求められる「透明性」の再定義
こちらのブログでも折々触れていますが、近年はPTA活動そのものの在り方が見直されつつあります。
入会の任意化が進み、活動内容や予算執行の透明性を求める声も高まっているところです。
(そもそもPTAの入会が強制的であること自体が任意団体と言いながらおかしいことなのですが・・・。)
監査は、その透明性を支える重要な仕組みの1つであると言えます。
ですが、透明性とは単に「帳簿を見せること」「帳簿を見ること」ではありません。
意思決定のプロセスを開くこと、そして誰もが理解できる形で報告されることが必要です。
監査がその一部として、会員の信頼をつなぐ橋渡しの役割を果たすなら、その存在意義は失われないと思います。

制度の形骸化を防ぐために
PTAの監査という役職は、専門性・公平性の観点から見れば確かに限界があります。
保護者がボランティアで担う監査に企業のような厳密さを求めるのは、絶対的に酷です。
しかし同時に形骸化した監査を放置すれば、組織全体の信頼は損なわれるのも実情だと思います。
重要なのは「完璧な監査」を目指すことではなく、「信頼される監査」をどう設計するかではないでしょうか。
そのためには保護者同士が互いの立場を尊重しつつ、最低限の知識とルールを共有し、監査を単なる「義務的役職」ではなく、「PTAを健全に運営するための対話の場」として再定義することが求められていると思います。
そして極力担当者に負担にならないよう、許容できる限りの費用をかけることは厭わず、「公平性を担保しつつ手間暇をかけない」という部分に気を付けてガバナンスを各々のPTAに合ったカスタマイズするべきです。
















