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何故PTAは「前例踏襲主義」を大事にするのか?

日本のPTAは、学校で子どもたちがより良い教育環境で成長することを目的として活動しています。
建前上ですが。笑

しかし、実際のPTAの運営方法やそのあり方について様々な問題が指摘されているのも事実です。
その中でも私が特に課題と思っているのが、「前例踏襲主義」という考え方です。

  • 前年ではこうやっていたから。
  • 例年だと変わらずやって来た。
  • 今までにやったことがない。

とにかく今まで通りに何も変えずに前例をそのまま極力完コピして活動していこうという意識を本部役員になったほとんどの方々に感じます。
きつい言葉かもしれませんが、私からしたら呪いのようにすら見えてしまうことすらあります。

私も副会長ながら、子どもの中学校PTAの訳の分からないルールや無意味な活動や作業、そして儀式化形骸化している内容は出来る限り取り除くよう可能な限り努めてきました。

ですが、今まで通り前例通りを重んじる方々は確実にいらっしゃいました。
そして重んじる理由を詰めると、

  • 前年ではこうやっていたから。
  • 例年だと変わらずやって来た。
  • 今までにやったことがない。

これが出てきます。

私は子どもの小学校でも気になっていましたが、お仕事で携わらせて頂いたPTAさんの中にもそれを感じるPTAさんがあり、何故PTAは「前例踏襲主義」を大事にするのかさらに疑問が深まりました。
そこで今回は、この問題を中心にPTAが抱える課題について考えてみたいと思います。

例によってそしていつも重ねて申し上げますが、これはあくまで私見個人的見解です。
エビデンスなしの独自見解も含まれていると思ってご容赦ください・・・。

「前例踏襲主義」ってどんなこと?

まずは私の持論の定義合わせから行いたいと思いますが、私の言う「前例踏襲主義」とは、「今までやってきたから」「昔からこうだったから」という理由で、毎年同じような活動を繰り返すことを言います。
例えば役員の決め方行事の内容参加ルールなどを、「去年もこうしたから」と言ってそのまま続けてしまうことです。

こういった考え方は、運営する側である本部の人間としては安心感をもたらす一方で、状況が変化している中では時代に合わなくなったり、誰かに負担が集中したりする原因にもなり、特に一般会員にはマイナス要因になりやすく、結果的にPTAの成り手不足や決壊崩壊に繋がっていると思っています。

前例を踏襲することで起きている課題とは?

では、前例を踏襲することで起きている課題とはなんでしょうか?
私が感じる課題としては、大きくは以下の3つです。

役員や委員の負担が偏る

「例年通り」で役員を決めたりすると、いつも同じような人が引き受けることになりやすく「一度引き受けると、次も頼まれるのではないか」と不安を感じる保護者もいます。
実際に私は、娘の同級生のお母さんから「一度やると次も頼まれるからやりたくない」とハッキリ聞いたことがありますし、私は本当に一度引き受けて次も次もと延々に頼まれています。笑
結果的に一部の保護者に負担が集中してしまうことが起こります。
これが積極的にやりたがっている方に集中するのであればまだ問題ないのですが、そういう方が役員をやると何故か前例踏襲主義を重んじ、さらに前例を作って属人化させる傾向もあるので何とも言えないです。

活動が形だけになる

毎年決まった活動を続けていると本来の目的や意味を考えることがなくなり、「何のためにやっているのか分からないけれど、続けている」という状態になりがちです。
これはPTAあるあるの代表格ではないでしょうか?
例えばベルマーク集めや廃品回収など、負担が大きい割には効果がよく分からない活動が続けられていることがあります。

新しい意見が出しにくい雰囲気になる

これは私の実体験でもありますが、何か新しいことを提案しようとしても、「それは前例がないから」と言われてしまい、新しい意見や工夫が受け入れられにくくなります。
しかも却下の理由が論理的でなく感情論であることが多いです。
私の経験でいうと、印刷代も編集コストもかかるPTA広報誌を廃止して、広報活動を続けるのであればブログなどのWebツールで続ける方がいいのではないか?という提案をしたことがあるのですが、前例踏襲主義の役員の方をあえて「旧派」という言い方をしますが、旧派の方から出た却下理由は、「紙で見たい人がいるから」という理由でした。
子どもの中学校は生徒数も少なく、頂いて集めた会費も多くはありません。
その頂いた会費の中で全体の20%を占める予算で毎年広報誌を発行しているのはどうかと思ったわけです。
実際問題として、コロナで色々活動が停止して余剰金が発生していたので他の活動もそのままで広報紙を発行できる状況なんですが、それに旧派は気付いていないのか見て見ぬ振りなのかは分かりませんが、これをこの先も続けていくのであれば財政破綻という状態なのです。
この理由は明らかに全体最適を目指していた私としては、全体意見とは思えない「紙で見たい人がいる」という部分最適の見解にしか思えず納得がいきませんでした。
その後、何度かスルーされながらも教職員の先生も含めて一般会員の保護者さん達にブログ化可否のアンケートを取ったのですが、結果は約9割がブログ化に賛成。
ですが、旧派も交えて出た広報誌の発行方法の結論は、印刷はしないでPDFで発行するでした。

財政破綻の話もしましたし、アンケート結果も見ているのですが、編集はマストのPDF発行と・・・。
これはやや専門的な話ですが、うちのPTAでは印刷とデザインをデザイナーさんにお願いして作成していますので、費用発生のほとんどの要因は印刷代よりデザイン代なんです。
これは私が承った際でも費用の内訳は同じではあるんですが、そうなると費用削減は大幅には出来なくなります。
まあ気休め程度の改革にはなったかもしれませんが、予算ありきの広報誌発行をこの先出来なくなると分かっていて何故続行を旧派は推し進めたのか未だに理解できません。

他のPTAさんでも改革派の方であれば、こういうことがまあまあ起きて意欲を失っている方もいらっしゃるのではないかと思います。
しかも私の場合であれば一般会員の方々にアンケートを取っての結論がブログ化しないですから、保護者の中から新しいアイデアを出す人が減ってしまうという問題も発生したと思っています。

なぜ前例が重視されてしまうのか?

エビデンスもなく、論理的な根拠がなくても、なぜ「前例踏襲主義」がPTAで続いてしまうのでしょうか?
前例が重視されてしまう理由としては、主に次のことが考えられると思います。

役員の任期が短いこと

PTAの役員通常1~2年と短いため、新しいことを始めたり、大きく変えたりすることが負担に感じられてしまいます。
そのため、結局前例通りに進める方が楽に感じられるという事情があると思います。

責任を取りたくない心理

新しい取り組みをして問題が起きると責任を感じてしまうため、「去年通りにしておけば安全」と考える傾向があります。
これは偏見もありますが、本部役員をやりたい人の中には活動は積極的なのに決断を必要とするようなことは消極的という傾向を持った人を見かけます。
そもそも任意団体で責任問題もどうかと思いますが、運営が責任を取らずに行動するということは、個人的にはいいとは思えません。
かといって重大な責任を負わせる必要もなく、横領などの犯罪行為は別ですが、PTAにおいては最適化の際は基本的に責任を感じずに実行していいのではと思います。

ルールや基準が曖昧

これは大問題だと思うのですが、任意団体という建付けもあり、PTAの活動には明確なルールが少なく、「これまでのやり方」が基準となりやすいため、前例が最も重要視されてしまいます。
その為に各校のPTA、いわゆる「単P」各々でやり方も違い、法人格もないので法的ルールにも良くも悪くも縛られず、特定のところで存在だけ必要とされ、放任状態で続けられるという流れになりやすいです。
こういった部分が、「子ども達の為の組織」から「大人の居場所」に転換したり、横領などの不正発生しやすいと考えます。

前例を乗り越えていくために

PTA「前例踏襲主義」改善するためには、単Pごとに改善方法が異なると思うので明確な打開策は明示できないと思っているのですが、それでもまずは「みんなで本当に気軽に話し合える場」を作ることが何より大切だと思います。

変えることを怖がらず、現実的な路線で取り組めるようになると、PTA活動ももっと参加しやすいものになるのではないでしょうか。

一方で学校側地域社会理解も必要です。
保護者だけでなく先生や地域も一緒になって、「前例にとらわれないPTA」を目指すことが望まれます。

「これまで通り」を続けるのは安心で責任も取らずに済みやすいですが、時には立ち止まり、「今のやり方は本当に良いのかな?」と考えることも必要だと思います。
前例にとらわれない柔軟なPTA活動は、保護者にとっても子どもたちにとっても、きっと本当に必要な存在を生むことになると思っています。

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